生きてるだけで丸儲け
こんにちは。コロリです。
2020年某日、子供が生まれました。
40歳までと挑んだ不妊治療で幸いにも授かることができた我が子。
未だに自分の中から出てきたとは思えない。
かわええ・・・。
不妊治療CLでサラッと言われた、
「治療での妊娠は自然妊娠と比べて、異常分娩の確率4倍だから〜」
というお言葉。
まさにそのとおり、出産には事件がいろいろあった。
ちょっと長くなるよ!
私は近所の小さな産院で出産予定だった。
そこを選んだ理由は3つ。
1.歩いていける!
2.全個室(シャワートイレ付)
3.帝王切開できる設備がある
近いは正義!
イビキマンは個室必須。
高齢&不妊治療でトラブルには備えたかった。
ってな感じで出産に対する強いこだわりはなくて、近所にあった中から選んだ感じ。
私は妊娠してからも変わらず1時間かけて通勤して仕事を続けたし、休職後は長距離の散歩を楽しんだり、トラブルとは無縁のマタニティライフを送った。
そしてなんの兆候もないなーと思っていた予定日の深夜、前期破水し入院することに。
ちなみに破水すると立った姿勢では羊水がどんどん出てしまうので、横になったまま車で来るように言われ徒歩5分の距離を車で行ったよね。
入院はしたものの、本陣痛まではまだまだ。
でも破水していたので時間はあまりかけられないとの事で翌朝から促進剤を使用。
徐々に痛くなるのに一向に全開にならない子宮口。
あまりの痛さに後半は数分おきに、まだ?もうやめたい、この痛みはどうにかできないのか、とわけのわからない泣き言を重ね、次くる痛さに怯えて半ベソかいた。
夫は陣痛が来るたびに腰をさすってくれた。
時折立ったまま失神していたw
やっとこさ子宮口が全開になり、何度もいきんで先生にも助産師さんにもとんでもない力でお腹を押されたのに赤子の頭が通らず。
腹を押されながら吸引もしたし、そこに頭は見えるがどうにもこうにも出てこない。
微弱陣痛&頭がデカイ&産道がむくみはじめて狭くなっていて通りにくい。
この調子じゃ今から1時間以上はかかる。帝王切開なら1時間以内に取り出せる。
選んで、と言われ体力の限界を感じていたのと、時間かけると子供が心配だったので帝王切開を選択。
19時過ぎに緊急帝王切開で息子誕生。
羊水内で胎便をしてしまった影響もあり呼吸が不安定だったため、カンガルーケア等なしで保育器に入れられる。
顔だけチラッと見せてもらった。
ほんとに一瞬で、この時はあまり記憶に残っていない。
しっかり泣いてたので元気で良かったと安心したのは覚えてる。
帝王切開創を縫合してもらい自分の病室に戻ったら、
産まれてから呼ぶはずだった母を、帝王切開が決まった時点で夫が呼んでくれていた。
21時半頃、病室で夫と母と談笑していると助産師さんが血圧測定にきた。
測った数値を見て「ん?」と怪訝な反応の助産師さん。
布団をめくると出血している事に気づき、手術室に逆戻り。
私は下半身に麻酔が残っていたため、出血していることに気づいていなかった。
帝王切開後、収縮するはずの子宮が弛緩してしまい出血している(お股からめちゃ出血している状態)らしい。
先生がお腹をグーっと押さえてないと出血が止まらない。
腹部は麻酔が切れ始めていたため、帝王切開の傷口の上から強く圧迫されるのは激痛だった。
すぐに救急車が手配され救急隊が到着。
しかし搬送先が決まらない。
自分の住んでる街の総合病院か、隣街の総合病院に依頼をかけている、と。
私は意識がはっきりしていて、先生と助産師さんたちの話ぶりからあまり良くなさそうな雰囲気は感じていたので、隣街の病院まで行くとなるとヤバイかもなぁと漠然と思った。
幸いにも近くの総合病院が受け入れてくれることに。
先生が搬送中もずっとお腹を圧迫して出血しないようにしてくれた。
まぁもちろん激痛だよね。。。
総合病院で10人ほどに囲まれ、緊急処置をされる。
リアル救命救急24時だなとかどうでもいいことを考えてしまった。
意識はハッキリしており、気分が悪いとかもなし。
ただ、体温と血圧が聞いたこともないような低さだった事や、やりとりを聞いてかなり失血していること、輸血をすぐにしないとマズイ状況であることを理解する。
あれ、死ぬのかもしれないな?と薄っすら考え始め、夫と息子にすまんな、という懺悔の気持ちがわいた。
が、その直後にあんなに苦労して産んだ息子を抱っこもしてないのに死ぬとか、どんな罰ゲームだよ?という怒りが湧いてきたよねw
終始意識もしっかりしており、それなのに死ぬかもしれない自分と向き合う不思議な時間だった。
ちなみに私は医者からなにも言われなかったが、夫と母は死ぬかもしれない旨を伝えられていたらしくショックを受けていたらしい。
なんかいろいろすまんな・・・。
日をまたいで行われた数時間の処置のおかげで出血は止まり無事生還。
ICUへぶちこまれる。
朝、目覚めたら自力で立てるか確認されて産婦人科病棟へ移る。
貧血とむくみがひどく、体も動かない。
ヘモグロビンの値が悪く、追加の輸血を受けた。
息子は総合病院へ転院させてもらい、NICUで見てもらうことに。
車椅子で会いに行くが、なにもできず。
しかもわたしの都合でNICUに入ったはずの息子が睡眠時無呼吸と診断されてしまい経過観察することに。
小さな体に心電図をつけられている姿はかわいそうだった。
さらに5日ほど経っていよいよ退院となった時に、極度の貧血のせいで帝王切開の傷がくっついていないことが判明。
臓器は塞がってるけど、皮膚と筋膜が切れたままだった。
追加の輸血と、再縫合の手術が必要と診断され退院は取り消しに。
傷の長さと深さを測るために麻酔なしで傷口に器具を入れられて激痛だったぉ( ^ω^ )
この頃まだ手足のむくみがひどく歩きにくい状態が続いてたんだけど、この最後の輸血が功を奏して一気に改善。
その後は順調に回復して傷口もちゃんと塞がった。
息子はわたしの退院から遅れること2週間弱で退院することができ、今はそんな事は全く感じさせないくらい元気だ。
とっても長くなりましたが、そんなこんなで息子も私も日々を噛み締めながら生きています☺︎
出産は命がけって言うけど、アレ本当だったな。
明石家さんまの名言がココロにささるよ。
まさに、“生きているだけで丸儲け”!!
それではまた!